賞味期限は切れたか?

 明日からリオ・パラリンピック開幕、このタイミングで少し前に終わってしまったリオ・オリンピックについて振り返ってみたい。

心に残った言葉

 今年8月に開催されたリオオリンピックで、ある選手がインタビューで語った言葉が今でも心に残っている。競泳に出場した入江選手である。

 200m背泳で8位に終わったあと彼はこんなことを言った。

僕は賞味期限を切れているのかもしれない。でも消費期限は切れていない。

 メダルに手が届かなかった悔しさと、次に出場するメドレーリレーへの思いを語ったものだ。競泳選手としては年齢も高く旬を過ぎてしまった自らへの自嘲もあったのかもしれない。
 これを聞いたとき、私も他人事ではないな、と妙に心に染みたのを覚えている。私もサラリーマンになってから、既に35年。退職というゴールも間近に迫ってきた。まさに入江選手ではないが「賞味期限は切れた」の状況なのかもしれない。

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消費期限は切れていない

 でも、彼と同様「消費期限は切れていない」と思いたい。私が若い頃に見ていた50代後半の先輩たちは、正直おじいさんというか、やる気のない終わった人にしか見えていなかった。

 ところが、いざ自分がその年代になってみると、全く違っていた。私はまだまだ発展途上だと思うし、色々と学びながら成長し変化することができると強く信じている。

 確かに身体は少々衰えてきたし物覚えも悪くなったと感じるが、心というか脳はまだまだ発展し変化していると実感している。

 年齢を言い訳にしてはならない。ついつい「もう先も短いし。。。」などと口に出してしまうが、本心は違う。私はまだまだ変われる、成長できると思っている。
 一方で健康で元気にいられるのは、あと15年くらいだろう、とも思っている。15年が長いか短いか、正直よく分からないが、この15年を無駄、無為に過ごしたくはない。そのためにも一日、一日を充実させたい。

自分自身の変革

 幸いにも私は今、大きく変わりつつある組織の一員である。加えて組織の変革を支え、あるいは推進する役割を与えられるという幸運に恵まれている。
 あの人は「消費期限切れだ」と言われないよう、自分自身の変革を通じ、組織の変革の当事者であり続けたい。
 年を取るから「老いる」のではない、学ぶことを止め挑戦しなくなるから「老いる」のである。

最後に、私の好きな言葉。。。

 

「神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。」

   ”ニーバーの祈り”から