2019.8.18「『24のキーワード』でまるわかり!最速で身につく世界史」角田陽一郎

前回のアップからずいぶんサボってしまった。読み終えて(聞き終えて)から2週間以上たってしまったが、今日は角田陽一郎さんの書かれた「『24のキーワード』でまるわかり!最速で身につく世界史」についてまとめてみた。

まずはいつものように目次から

 

第1講 文明の話

 四大文明はなぜ「乾燥地帯」で生まれたのか?

 20万年前~1万年前/全世界

第2講 水の話

 その地域のルールや文化の特色は、水によって決まる。

 1万年前~紀元前11世紀/四大文明の地域

第3講 宗教の話
 宗教とは、思い込みで生まれるものである。

 紀元前13世紀~7世紀/西アジア、インド

第4講 思想の話
 思想は、気候や環境に思いっきり左右される。

 紀元前7世紀~紀元前4世紀/西アジア、インド、中国(春秋・戦国時代)、ギリシャ

第5講 帝国の話
 人が集まり、国ができ、やがて他国を支配する帝国が生まれる。

 紀元前6世紀~4世紀/ペルシア帝国、ローマ帝国
第6講 商人の話

 実はイスラム教は、合理的で寛容的な宗教である。

 7世紀~13世紀/イスラム帝国

第7講 中華の話

 中国を見ることで、その他の国の見方まで変わってしまう。

 紀元前3世紀~3世紀/秦・漢帝国

第8講 民族の話
 民族や文化の違いで差別する愚かさに気付く話をします。

 4世紀~14世紀/ヨーロッパ

第9講 征服の話
 王朝の誕生と衰退は、芸能アイドルの世代交代と一緒!?

 紀元前2世紀~13世紀/漢・隋・唐・宋、モンゴル

第10講 周縁の話
 周縁で起こったことを知ると、世界史はもっと面白くなる!

 紀元前7世紀~15世紀/インド、ロシア、アフリカ、アメリカ、日本〔ほか〕

第11講 発見の話

 「発見」とは未知が既知になるだけ。でもその威力は偉大である。

 11世紀~16世紀/ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、日本

第12講 芸術と科学の話

 法則がシンプルで美しければ、科学的に正しいとなってしまう!

 14世紀~17世紀/ヨーロッパ

第13講 国家の話

 国の種類はたった二つしかない。

 1万年前~現在/全世界

第14講 約束の話

 「誠実に約束させることが、戦争を生む」という悲劇。

 15世紀、16世紀/ヨーロッパ、アメリ

第15講 理想の話

 ある人にとっての「理想」は、別の人にとっては「脅威」となる。

 17世紀、18世紀/イギリス、アメリ

第16講 革命の話

 ダイエットとリバンドを繰り返す「革命」によって人類は進化する。

 18世紀、19世紀/ヨーロッパ、日本

第17講 産業の話

 技術革新や発明が、生活時間、行動範囲、芸術までも変化させた。

 16世紀~19世紀/ヨーロッパ

第18講 統合の話

 民族の「統合」と、帝国による「分割」が同時進行するという矛盾。

 14世紀~19世紀/ヨーロッパ列強、西アジア、インド、明・清

第19講 分割の話

 植民地とそこへのルートが欲しくて、世界を分割し続けた。

 19世紀、20世紀/全世界

第20講 戦争の話

 戦争を起こさないためには、戦争をよく知る必要がある。

 20世紀/全世界

第21講 イデオロギーの話

 社会主義成功のカギを握るのは、イデオロギーにあらず。

 20世紀/全世界

第22講 お金の話

 お金が、人生の持ち時間、就職先まで決めてしまう。

 20世紀/全世界

第23講 情報の話

 現在は、農業革命、産業革命に続く「情報革命」が進行中である。

 20世紀、21世紀/全世界

第24講 未来の話

 未来を考えると、現代・過去までもより深く理解できる。

 21世紀~/全世界

 

一気に聞き終えたが、特に印象に残った部分を要約して記述する。

・約20万年前に今の人類であるホモ・サピエンスの共通の祖先が東アフリカで誕生した。これはミトコンドリアDNAを辿っていくと「ミトコンドリア・イブ」と呼ばれる一人の女性のDNAに行き着くことで解った事実である。そして約6万年前にそこから世界各地に広がったとされている。

・「人種差別」はあってはならないこと、という常識は、この「人類アフリカ単一起源説」が主流になってからの”常識”である。世界史とは「差別の歴史」であり、同時に「差別との戦いの歴史」でもある。

・グレート・ジャーニーと呼ばれる人類の長い旅、世界史とは人類の「旅の歴史」でもある。

・約1万年前に四代文明(こう呼んでるのは日本だけのようだが...)が乾燥地帯で起こった。エジプト文明メソポタミア文明インダス文明黄河文明の四つ。

・日本でこのような文明が起こらず、縄文時代が紀元前2世紀頃までという比較的新しい時代まで続いたのは、恵まれた環境であったから。「日本は恵まれ過ぎた環境」というのは世界史の中で日本を知る上で重要なポイント。

・なぜこの時期に文明が起こったのか?氷河期が終わった1万年前に農耕と牧畜という「農業革命」が、この乾燥との闘いの中で始まった。

なぜ、この四つの地域で文明が生まれたのか?そこに乾燥に耐える最適な栽培種の野生種が”たまたま”繁殖していたから。それは「ムギ」と「アワ」。そこには人間だけでなく動物も群がってくる。その動物たちを飼い始めたのが”牧畜”の始まりである。

・乾燥地帯にあった四代文明に共通するもうひとつの条件は、すべて大河の流域に存在したという点。エジプト文明ナイル川メソポタミア文明チグリス川とユーフラテス川、インダス文明インダス川黄河文明黄河。人は真水が確保できるところに集まり、農耕し、やがて都市を作る。そして水のない場所に水を供給する「灌漑」や、逆に水がありすぎて起こる洪水から守るために「治水」という大規模な共同作業が必要不可欠となる。そうなれば、それを取り仕切る指導者、つまり王が必要となる。これが文明の始まり。

・戦争とは「水が確保できる場所の争奪戦」であり、政治とは「確保した水を灌漑し治水する施策」である。

・四代文明の特質が源流となって、その後の世界史、ひいては現代までにも繋がる各地域の特徴を形作っている。ところが、インダス文明だけは、今のインド文明に直接つながっていない。つまり現代のインドは、古代と「断絶」されている。

黄河文明で栽培されたアワは地下水で栽培されたため、大規模な灌漑は行われなかった。そのため広い地域で邑(ゆう)と呼ばれる小さな集落が点在し、それぞれの邑に住む部族の祖先が崇拝された。誰よりも自分の祖先が偉い、という価値観が、現在の東アジア地域の集団主義的な特徴を形作っている。その代表が「中華思想」、自らが世界の中心であり、外部は自分達の下に序列する下部集団にすぎない、という考え方。

一神教の代表である、ユダヤ教キリスト教イスラム教は、アラビア半島という厳しい環境の「さばく」の中の都市で形作られた”砂漠の宗教”である。これらの神様は同一であり、神をヤハウェとして崇拝するのがユダヤ教、ゴッドとして崇拝するのがキリスト教アッラーとして崇拝してるのがイスラム教である。つまり、この三つの宗教間の対立とは、信じている神様の違いではなく「神様への崇拝のやり方」をめぐる対立と捉えるべきである。

キリスト教は大きく分けると3つある。まず、11世紀にローマのバチカンを本拠とする西方教会カトリック)と、コンスタンティノーブルを本拠とするギリシャ正教東方教会に分裂した。さらに16世紀にカトリックに反抗するプロテスタントが現れた。神父はカトリック正教会にいるが、プロテスタントにはいない。

イスラム教はスンニ派が主流をなし、全体の9割、シーア派は約1割でほとんどが今のイランにいる。シーア派のイラン人とスンニ派の多いアラブ人の対立が、今でも中東の紛争が絶えない理由のひとつである。

多神教温暖湿潤で多種多様な動植物がいる環境で生まれた「森の宗教」である。多神教では、宗教の指導者や偉い人が亡くなったあと、新しい神様が次々とメンバーに加入する。

・自分の中に神様がいらっしゃるのが一神教、自分の外に神様がいらっしゃるのが多神教。決めてから迷う一神教、決めるまで迷う多神教

・紀元前7世紀から4世紀にかけて、宗教や哲学が一気に生まれる「精神革命」が起こった。これを「枢軸時代」と呼ぶ。

パレスチナユダヤ教

ペルシアでゾロアスター教

インドで仏教やジャイナ教ウパニシャッド哲学

中国で儒教をはじめとした諸子百家

ギリシャギリシャ哲学

ゾロアスター教は、紀元前6世紀頃、ペルシア地方の草原地帯に現れたゾロアスターによって創始された。火を神聖視し、善悪二元論と終末論を教義の核とする。草原地帯で昼と夜が繰り返されることから生まれた考え方。この二元論や終末論である「最後の審判」という思想は、砂漠の宗教ユダヤ教に強い影響を与え、その後のキリスト教イスラム教に通じている。

易姓革命とは「現王朝がふしだらなため、天命を受けた者がそいつを倒して新王朝をたてる」という思想。この考え方は現代にも受け継がれている。「中国四千年の歴史」とは、四千年間同じ思想が続いているという意味で的を射ている。

・日本はもちろん東アジアで2500年以上にわたって大きな影響を与えている思想が、孔子が創設した儒教黄河文明から続く祖先崇拝と家族崇拝を体系化した教えであり、「長幼の序」つまり「年上の方が偉い」いう考え方である。これは孟子などの後継者により、より厳密化・体系化され「論語」をはじめとした「四書五経」にまとめられた。

中華思想は、この儒教が生まれたことでより強固になった。「年少者は年長者を敬い、年長者は年少者を慈しむ」ということになれば、中国が世界の中で一番の年長者ということになる。

・最盛期のアテネ市民は15万人に対し奴隷は10万人いたと言われる。富裕層だけの特異な民主政治が行われていた。生活にゆとりができると人は人生について考え、やがて万物の根源を考える。そこでギリシャ哲学が生まれた。ソクラテスプラトンアリストテレスなどを代表として産み出された哲学は近代社会の様々な思想の基本となる。しかし継続して受け継がれたのではなく、一度世界史から忘れ去られたものを、後のイスラム世界の人々が翻訳・発展させてから再び日の目を見ることになる。それが14世紀にヨーロッパに伝わったのがルネッサンス

ユーラシア大陸の帝国とは、「北の比較的”貧しい遊牧民”が、ウマという交通・通信手段を獲得することで軍事的に優位にたち、南の経済的に”裕福な農耕民”を征服したり、寄生したり、従えたりした国家」ということができる。

・ウマと車の組み合わせは、「大量の荷物」を「高速で移動」できる画期的手段であった。そしてその用途は、運搬、農耕、戦闘と多種多様。

・馬の上から弓を射る「騎射」が圧倒的な軍事力となり、騎馬軍団が登場した。鉄砲が発明されるまで、世界最強の軍団であった。

・世界史史上最初の巨大帝国は、紀元前6世紀にイラン高原から起こったアケメネス朝ペルシア帝国である。その支配はエジプトからインダス川まで及び、人口も5000万人に達した。ギリシャのポリス国家にも攻撃を仕掛けた。

・アケメネス朝ペルシア帝国は、全国を州という行政区に分け州知事を置き、さらにその州知事を監視する「王の目」「王の耳」という監察官を中央から派遣した。さらに「王の道」という国道や駅伝、通貨制度を創設した。

・行政区を整備し、道路や通信手段を作り、共通通貨を制定する、これらの中央集権的政策は、その後の時代でも国民を統治するために使われている制度である。

・このアケメネス朝ペルシア帝国を滅ぼしたのは、紀元前4世紀ギリシャの各ポリスを制圧し、北のマケドニアから誕生したアレクサンドロス大王(英語読みではアレキサンダーアラビア語読みならイスカンダル)。彼は世界制覇の野望に燃えエジプトからインドまでを征服し第帝国を誕生させた。これによりギリシャ文化とオリエント文化を融合したヘレニズム時代が幕を開けることになる。

・イラン人のプライドはペルシア帝国にある。アケメネス朝ペルシア帝国がアレクサンドロス大王に滅ぼされたあとも、紀元前3世紀にはイラン系の騎馬遊牧民がパルティア王国を建国し、400年続く。その後ササン朝ペルシアに代わりさらに400年続く。つまり現在のイランは、このようにかつて巨大な帝国を作ったペルシア人の末裔の国というプライドをもって行動している。

イスラム教内での宗派争いに見える中東の構図も、「プライド高き伝統あるペルシア人」vs「イスラム教の元祖であるアラブ人」という視点を知ることで、新たな一面が見えてくる。

・紀元前1世紀に、地中海に突き出たイタリア半島から巨大な帝国=ローマ帝国が誕生した。東地中海を勢力にしていたヘレニズム文化の体現者クレオパトラプトレマイオス朝を滅ぼし、地中海を統一した世界初の海洋帝国を創設した。

ローマ帝国は「すべての道はローマに通ず」という格言が残るほどの立派な道路を建設した。日本の新幹線の線路の幅(標準軌)は、ローマ時代の馬車の軌道と同じ。

ローマ帝国は2世紀の五賢帝が統治した最盛期までの200年間、域内では平和が続き「パクス・ロマーナ」と呼ばれる平和な時代が続く。

・7世紀にユーラシア大陸西アジアの乾燥地帯で、世界史の一大転機になる事態が起こる。イスラム教の成立である。

イスラム教は、当時極めて合理的で寛容的な最新の宗教であったことが、勢力拡大に有利に働いた。イスラム教は承認から生まれた宗教。

イスラム教の主要な担い手をアラブ人、ペルシア人トルコ人、モンゴル人、インド人等と加えていきながら拡大していった。

今や世界には16億人のイスラム教徒がおり、数十年後にはキリスト教を抜いて世界最大の宗教勢力になる。

・中国は伝説の夏王朝から始まり、殷→周→春秋・戦国時代→秦→漢→三国時代→晋→五胡十六国南北朝時代→隋→唐→五代十国→宋→遼→金→元→明→清 と王朝が何代にも渡って存在する。中国が現在の大きさにざっくり確定したのは、最後に登場した清(17世紀~20世紀)の時代である。

中華思想はコンプレックスの裏返しでもある。漢民族は周辺の野蛮?な民族から常に攻められ時には征服され子分にされ苦渋をなめてきた。そのプライドと劣等感が入り交じった感情が中華思想のもうひとつの真実である。

・北の黄河のアワ文化圏と、南の長江流域のコメ文化圏が一つになり大人口を抱える漢民族の基礎となった。

・「ある王朝の天子がダメな統治を行うと、天が見切りをつけて新たな天子に変わる」という「天命が革まる=革命」という思想が中国にはある。この革命を易姓革命という。徳を失えば、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が変わる)という考え方。

匈奴とは、紀元前3世紀ごろから中国の北部にいた遊牧民で、彼らは中国の漢に度々侵入し漢民族を脅かす。南北に分裂した匈奴のうち、南匈奴は中華圏に残りましたが北匈奴は忽然と中華圏から消えた。そして4世紀ごろ中央アジアから黒海周辺、さらに東ヨーロッパに現れた。彼らはローマ帝国民から”フン族”と呼ばれた。フン族の痕跡はヨーロッパ各地に残っている。東欧のハンガリー民族「マジャール人」は実はアジア系で、国名のハンガリー(Hungary)はフンが語源という説がある。

フン族が侵入したとすると、もともとそこにいた民族は玉突きで移動せざるを得ません。それがゲルマン人、ゲルマン系の西ゴート族が375年に衰退してきたローマ帝国内に侵入した。続いて次々とゲルマン系の諸族(東ゴート、ヴァンダル、ランゴバルド、フランクなど)が西ヨーロッパ地域に移動し始めた。これが「ゲルマン民族の大移動」。

・そして395年、ローマ帝国は東西に分裂する。ゲルマン人が多数侵入したイタリア半島イベリア半島など西欧地域を含む西ローマ帝国(種とはローマやミラノ)と、ドナウ川の国境でゲルマン人の侵入を比較的免れた東ローマ帝国(種とはコンスタンティノープル)に分かれる。

なお、西ローマ帝国は、5世紀(476年)ゲルマン人傭兵隊長によって滅ぼされる。

ちなみにゲルマン人キリスト教徒だった。ローマ帝国キリスト教を国教に認める前からキリスト教はむしろゲルマン人に広まっていた。

・ゲルマン系の諸部族は4世紀以降ヨーロッパ各地で国を作る。その中でも8世紀に特に力をもったのがフランク王国。同時にこの時代はイスラム勢力の拡大がフランク王国まで迫っていた。そのためキリスト教圏はアルプス以北の中央ヨーロッパに移動せざるを得なくなった。キリスト教カトリックのトップであるローマ教皇は、800年にフランク王国カール大帝シャルルマーニュ)に西ローマ帝国の「皇帝の冠」を与える。476年に滅んだ西ローマ帝国の復活である。これによりローマ教皇ゲルマン人の希望が同時に叶った。教皇はヨーロッパ北部でのカトリックの勢力拡大、ゲルマン人にとっては野蛮人と軽蔑されてきた自分達に正統性を与えてくれた。こうして「宗教面の指導者=教皇」と「政治面の指導者=皇帝」からなる西ヨーロッパ世界の骨組みが出来上がった。

・カリスマであったカール大帝が死ぬと、ゲルマン民族のしきたりにしたがい、国は三分割される。後のフランス、ドイツ、イタリアへとまとまる文化の素地が出来上がる。

10世紀(962年)ドイツ地域である東フランク王国のオットー1世がローマ教皇から戴冠を受け、神聖ローマ帝国の初代皇帝になった。この神聖ローマ帝国はナポレオンに1806年に滅ぼされるまで800年以上続く。

フランス地域(西フランク王国)ではカペー朝が起こりフランス王国になる。

フランスの北岸、ドーバー海峡に面したノルマンディー地方にいたゲルマン系ノルマン人は11世紀にイギリスに渡り、ゲルマン系のアングロ・サクソン人を征服してノルマン朝を開く。イギリス王国の誕生である。

ドイツもイタリアも、国としては19世紀まで存在しなかった。

・中性の時代、世界史の中心は、世界的商業ネットワークを完成させたイスラム帝国と、孤高の中華世界であった。西欧キリスト教世界はイスラム帝国と対峙し、11世紀から13世紀にかけて十字軍を組織して戦いを挑むが失敗を繰り返す。しかしこの失敗は後に多大な恩恵をもたらす。先進地域であったイスラム世界から様々な先進文化が西欧世界に持ち帰られた。

・これ、全部同じ人物。

 チャールズ、シャルル、カール、カルロス

 ピーター、ぺーター、ペテロ、ピョートル

 ジョン、ヨハネ、ジャン、ヨハン、イワン

 マイケル、ミカエル、ミッチェル

 地名も同様、ブランド名に「アルマーニ」というのがあるが、フランス語でドイツのこと、英語だと「ジャーマニー」

・中国では4世紀に入り遊牧民たちが混乱期に乗じて中原に次々と国を起こす。五胡十六国時代の到来である。このころ大乗仏教も五胡の民族に広がり中国に根を下ろす。自分達が漢民族の下位にあることを説く儒教を遠ざけ仏教や道教を発展させた。

五胡十六国のあと、華北を統一したのは鮮卑の王朝、北魏である。この王朝では遊牧民漢化政策漢民族との同化)がとられた。これにより中華文化遊牧民の特徴がミックスされた。華北北魏北朝)と、華南の宋・斉・梁・陳と続く漢民族王朝南朝)が並立する南北朝時代である。なお、この北魏から日本に仏教が伝えられた。

・6世紀、581年に隋が中国を再統一する。そして黄河と長江を結ぶ総延長2500kmの大運河を建設する。これにより南北の経済も統一された。官僚登用試験である科挙を始め、農地を均田制という皇帝の所有に変えた。

・隋は30数年で、その後300年続く唐に変わる。隋も唐も漢民族の王朝だが、それぞれを建国したのは自称漢民族の末裔、その実は鮮卑の出自といわれている。

契丹(きたん)人が作った遼、その後女真族が作った金により圧迫され、ついには臣下になってしまうという屈辱の宋(北宋南宋)の時代に、中華思想は新たな特徴を身に付け後世に大きな負の影響を与えてしまう。それは「文治主義」と「朱子学」。文治主義とは官僚主導の統治方法。朱子学南宋の時代に儒教を再構築して誕生した。これにより中華文明の停滞が起こってしまった。特に朱子学は優越感と劣等感を併せ持っており、物事の本質よりも名や格(大義名分や上下の秩序)が大事という教えであり、過去重視による未来の否定、継続重視による革新の否定に繋がった。この朱子学は江戸時代の日本にも採用され、権威主義や事大主義、社会の硬直化の要因となった。現代の日本や韓国の度を越した学歴主義や偏差値偏重の遠因とも言える。

・13世紀のモンゴル高原に、チンギス・ハンが登場する。彼はモンゴル族を瞬く間に統一すると、中央アジアのホラズム朝や西夏を征服する。子孫たちも続きユーラシア大陸をほとんど支配する。結局地球上の陸地の4文の1を占め、人口1億人という史上類を見ないモンゴル帝国を築く。

第5代ハンであり、チンギス・ハンの孫のフビライ・ハンは中国全土を征服し、1276年南宋を滅ぼし元を起こした。

・この時代に、ユーラシア大陸には「草原の道」、「シルクロード(オアシスの道)」「海の道」が整備され中華圏・イスラム世界・ヨーロッパを結び一大商業ネットワークが形成された。

そして、停滞する中国を尻目に、中国で発明された火薬、羅針盤活版印刷技術がヨーロッパに知れ渡り、その後のヨーロッパの躍進に繋がった。

アメリカ大陸で文明の始まりが遅れた理由。ユーラシア大陸が東西に長い横長の形で、南北アメリカが南北に長い縦長の形だったから。人も動物も、横(東西)移動のほうがやり易い。南北では気候や植生、生態系が変わるが、東西ではほぼ同一の気候条件で移動できる。つまり移動し易い(交流し易い)ユーラシア大陸で文明が発達した。

・国の種類は、「王国」と「共和国」の二つだけ。あとはそれを少し言い換えたり、その応用形立ったりするだけ。会社に例えると、社長を創業者から選んでいるのが「王国」、公募で選んでいるのが「共和国」になる。なお、社会主義の国では、その国の代表は人ではなく会議。ソビエト連邦で一番偉いのは「ソビエト」という名の会議だった。中国では「全国人民代表大会全人代)」で、その会議の中で一番偉いのが国家主席ということ。

宗教改革は、ローマ教皇庁が資金調達のために発行した「免罪符」に反対して起こった。「カトリックは神との約束の間に聖職者が介在しすぎている。我々は神とダイレクトに約束したい。」この思いがプロテスタントを生んだ。そしてこの約束(聖書)を一気に広めたのが新しい技術革新であるグーテンベルグによる活版印刷技術の発明。技術がプロテスタントを生んだとも言える。

・16世紀半ばから、防戦側であるカトリック(旧教)と反抗側であるプロテスタント(新教)の対立が激化し、ヨーロッパ各地で宗教戦争が始まる。フランドル地方は当時スペイン領だったが、フェリペ2世に弾圧された新教徒がオランダ独立戦争を起こした。フランスではユグノー戦争、イギリスではピューリタン革命。最後の宗教戦争となったのは1618年から1648年まで続いた三十年戦争。この戦争は、周辺国家を交えて戦った”最初の国際戦争”でもある。ユグノー戦争を終結させたフランス・ブルボン朝の祖アンリ4世は「ナントの勅令」を出し、新・旧教徒の両方に「信仰の自由」を約束した。三十年戦争終了時には、ヨーロッパのほとんどの大国が参加して「ウェストファリア条約」が結ばれた。これは最初の国際法。スイスの独立も認められた。

現代社会の基本思想はプロテスタントが生み出したもの。勤労、貯蓄、倹約、節制といった真面目な生き方がプロテスタントの神との約束。この聖書に書かれた神様との約束事を誠実に果たすというのがプロテスタントの生き方。この誠実さが、資本主義、民主主義、個人主義の原動力となる。しかし一方で、この誠実さが「自分の誠実さの押し売り合戦」となり、自分達の誠実さ=正義を他者に押し付けることで戦争を生んできたのも事実である。

・植民地に残るヨーロッパ。フィリピンとは「フェリペの領土」という意味。フェリペとはスペイン帝国最盛期の王フェリペ2世のこと。アメリカのルイジアナは「国王ルイの領土」という意味。ちなみにその地の特産ウイスキーをバーボン(bourbon)というのは、ブルボン朝から来ている。また、イギリスのエリザベス1世は生涯未婚だったため処女王と呼ばれた。その彼女にちなみ「ヴァージニア」と命名された。

アメリカはかなり特殊な国家。18世紀(1776年)独立宣言を発し、やがて独立戦争に勝利して誕生したアメリカ合衆国は全く新しいタイプの国家であった。

他の国では、民族固有の共通な歴史物語があり、その国を建国した先祖はその国の英雄であり、その国の歴史はその国のしきたり・文化・伝統である。しきたりや文化はその集団のアイデンティティとなり、そのアイデンティティを共有する者が国の構成員。でもアメリカ建国の基盤は、英雄でも伝統でもなく「理想」である。神の下の平等という考え方に賛同した人たちが造った人口国家なのだ。

WASP(ワスプ)と呼ばれる白人(White)でアングロ=サクソン(Anglo-Saxons)でプロテスタント(Protestant)のための理想の国を誠実に作ろうとした。

・日本の明治維新は、「革命=Revolution」ではなく「改革=Reformation」だった。革命で行われる過去との断絶、旧体制のボスを処刑するという最も革命的な行為が行われなかった。そういう意味で日本では革命が起こったことがない。過去を継承することを第一義と考える国民性が日本人のアイデンティティだから。

産業革命は都市の工場労働者を生んだ。この工場労働者の出現は新たな社会現象を生んだ。それは「子どもの誕生」である。それまでは”小さい大人”しかいなかった。工場で労働するためには知識と技術を学ぶ必要がある。これによって大人になるために年少期に教育をする期間、すなわち子どもが誕生した。こうして学校制度が発展する。併せてこのころから人の生活は、「食べるために働く」から「働くために食べる」へと変化していった。

・世界史とは「戦争の記述」と言い換えることもできる。あらゆる時代にあらゆる地域で戦争が行われてきた。戦争のない状態のほうが珍しい。

既定秩序のガラガラポンを画策したのが世界大戦である。1914年の第1次世界大戦はドイツが英仏主導の世界秩序の反転を目指してチャレンジした。もう一つは、第1次世界大戦に負けたドイツが1939年に再チャレンジし、そのドイツと組んで欧米主導のアジア秩序の反転を目指した日本が1941年からチャレンジした第2次世界大戦。どちらもガラポンを仕掛けた方が負けた。

これまで他人事だった戦争が、「みんなの戦争」=大量動員と大量殺戮が必要な総力戦になった。

皮肉なことかもしれないが、日本では戦争に負け原爆を落とされた1945年から70年以上戦争をしていない。これは極めて異例の状況。

・1989年は世界史的に大転換の年。日本では1月に昭和天皇崩御され、春頃から東欧ビロード革命が始まった。6月には中国で天安門事件が起こり、ソ連ではゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ(改革)が進む。そして11月にはベルリンの壁が崩壊して、12月にはマルタで米ソの首脳が会談して冷戦の終結が宣言された。

なお、その200年前の1789年にフランス革命が起こった。

・お金のはなし。お金は、だいたい4500年前に始まったと言われている。人類の文明史を1万年と仮定すると、むしろお金の無かった時代のほうが5500年と長かったことになる。

お金によって人間が手に入れたのは何か?それは時間である。お金で食べ物を買えば、自分で獲物を獲る時間が節約できる。その分自分のために時間を使うことができる。

つまりお金をたくさん持つことは、時間をたくさん所有できることを意味する。人は必ず死ぬ、使える時間は限られる。したがって限られた時間をできるだけ自分のために使いたい、という欲望が起こるのは当然。この根源的な欲求が富を求める欲求の本質である。

・人類の歴史には三つの波がある。第一の波が先史時代の「農業革命」、第二の波が18世紀の「産業革命」、そして第三の波が進行中の「情報革命」 アルビン・トフラー

今後、医学やAIなどの発展に伴い「人体革命」=改造人間、寿命の大幅延伸など、が起こるかもしれない。

 

世界史はおもしろい!

しばらくの間、集中的に世界史の本を読でみる。