2020.3.1「AIに心は宿るのか」松原仁

久しぶりのアップです。世の中はコロナウイルスで大騒ぎになっていますが、私はこの記事をアップしたあと軽くジョギングしてこようと思います。常に平常心、これをモットーに生きていくつもりです。

松原仁さんの本はこれが初めてですが、「きまぐれ人工知能プロジェクト 作家ですのよ」を主宰されている方です。通勤電車のなか読みました。羽生さんとの対談も面白くあっという間に読み終えました。

AIに対しては、悲観論と楽観論の両極端があるように思います。この本では著者の長年の研究からAIに対する客観的な視点が語られており、非常に納得感のある内容でした。心に残っている部分をいくつか紹介したいと思います。

その前に、まずは目次から

<目次>

プロローグ 溶け合う、AIと人間の境界線
第1章 “AI作家”は、生まれるのか
第2章 「知の敗北」が意味すること――棋界に見る、シンギュラリティの縮図――
第3章 対談 AIは「創造的な一手」を指せるのか
第4章 AIに創造は可能か
第5章 「ポスト・ヒューマン」への、四つの提言

 

この本のなかで何度か触れられているのが「心」の問題です。

・・・つまり心とは、私たち人間が「心の存在を仮定した方が便利である」と確信した時に生じる、知能の働きの一つ・・・この知能の働きは、言語コミュニケーションや振る舞いなどを通じ、「一定の複雑さが再現されていれば」仮に相手が人間でなくても生じるものだ・・・

これはAIを考える上で非常に示唆の富んだ問題ではないでしょうか。

 

AI最大の難問に「フレーム問題」があるらしい。

これは、ある行為をコンピュータにプログラムしようとした時、「その行為によって変化しないこと」をすべて記述しようとすると計算量が爆発的に増えてしまい、結果としてその行為を行うことができなくなるという問題、とのこと。少し難しいが、何となく理解できる。

・・・

人間は時と場合によって情報に「あたり」をつけて行動することができるが、AIは「変化しないこと」を自明のこととするのが苦手なのです。

つまり多くの人は「なんとなくうまくやっていくことができる」これが私たち人間の持つ「知能の汎用性、柔軟性」なのです。この「なんとなく」による意思決定が人間とAIの知能を分かつ、一つの大きな特徴なのです。・・・

私たちは「ミスを犯し得るという代償を払って、知能の柔軟性を獲得している」のです。そこで重要な役割を果たしているのが、身体という物理的限界なのです。

・・・

そして著者は、以上の理由からAIに身体を与えることが、この「フレーム問題」を解決することになる、と予想しています。面白いですね。まさにアトムの世界。

最後にレイ・カーツワイル2045年にコンピュータの進化が人間に予測できなくなる「シンギュラリティ(技術的特異点)」を迎えると言っています。この2045が正しいかどうかは別にして私の生きている間に見てみたいものです。

しかし、これは、いついつの日に来るというより、「ある日気付いたらこの特異点(シンギュラリティ)を越えていた」ということなのでしょう。